はじめに…

本が好き。 部屋の壁に作り付けの本棚には400冊ぐらいの本が埋まっている。

でも、私はその一割も読んでいない。 自分の持ち時間を考えるとアセってしまう。

「わたしの本棚」は表題のごとく「気の向くままに」に読んだ本の感想を私なりにちょっとだけ記して、他の人の感想や異論など聞けたらいいなと思うのです。

これから先、一体何冊の本が読めるかなども楽しみにしながら・・・。     といくみこ

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2012年1月 2日 (月)

book number:18 『猫鳴り』

沼田まほかる 著 「猫鳴り」を読みました。

著者の名前にちょっと興味も持ちましたし。まほかる? どんな字書くんだろうと。

題名から、猫の話だろうとは想像していました。
しかし、これは猫の話ではあるけれど、一匹に猫の一生になぞらえた、生きるものすべての命の話かも知れません。

小雨の日に迷い込んだ子猫を見つけたのは、つい先頃 やっとできたお腹の子を流してしまった"信枝"だった。
信枝は小さな生き物のその子猫に対して、心の何処かで、存在していて欲しくないような、波打つ気持ちを持て余し、どうしても捨てようとする。
捨てられてもいつの間にか戻ってくるぼろ雑巾のような子猫の、何とか生きようとする執念に、夫の"藤治"は「飼ってやったらどうだ、亡くした子を思い出してもいいじゃないか」といった。

もともとその子猫を母親から捨ててくるよう云われて捨てたちっちゃな女の子"あやめ"は、信枝の家に時どきやって来るようになり、その猫の名前は "もん" だと言う。

小学生になったあやめの同級生で、父子家庭の "行雄"とのかかわりでも、もう一匹、"ペンギン" という小さな猫が登場する。
結局、ペンギンはすぐに死んでしまい、亡骸は もん がくわえて行ってしまうのだが・・・。

何といっても圧巻は第三部

信枝に先立たれ、初老になった籐冶と、やはり年老いたもんとの日常、言葉を持たないものと人間のこんなにも濃密な関係があろうか!
日々老いてゆくもんをひたすらなでることしか出来ない籐冶に、獣医は「とても自然なことですから」と。
もんが籐冶の声に尻尾でこたえなくなるその瞬間までの、命を燃やしている者同士の心の交流のすばらしさを、現わす言葉が私にはない!
いつかこの先、同じ瞬間をむかえる籐冶に、もんは「ダイジョウブ スベテ ダイジョウブ」とても自然なことだから・・・
そう云うように、ぐるぐるぐると静かな弱々しい猫鳴りを繰り返した いつまでも。

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2011年3月 1日 (火)

book number:17 『1Q84』

村上春樹 著 「1Q84」読みました。

厚さ4cmはある分厚い本、全3巻。 売れに売れたベストセラー本、やっと読み終えました。

綴られる一分の隙もない言葉や表現はあまり好きになれないけれど、ミステリー小説によくある、結末はいったいどうなるのか、
と云う興味に引きずられて、最後まで読む羽目に。  この辺りは読者の心理をよくつかんでいると思う。

二つの出来事が交互に書かれる手法と、この二つが繋がっていたことにある時気づかされる瞬間は新鮮に感じた。

この世の何処かにもう一つ別の世界の入り口があるという発想は面白かったが、読後心の中に何かが残ったかというとそうでもない。
彼が現わしたかった、二つの月に象徴されるような観念的な世界を、いま一つ私が理解できなかったのかもしれない。

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2011年2月22日 (火)

book number:16 『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』

「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」 (苦役列車に併収)も読みました。

四十を過ぎた"貫多"がある日、何気ない動作の瞬間にひどいぎっくり腰にみまわれる。
今まで生きてゆく糧を肉体を動かすことで得てきた"貫多"だったが、身体が動かぬひとり身に先のことを感がえると耐え難い惨めさに押しつぶされながらひたすら原稿用紙を埋めていた。
編集者や出版社への不義理も赤裸々に書かれ、それでも彼の書いた短編が賞の候補になると、神だのみの様な縁起かつぎまでして朗報を待つ姿はとても人間臭く、正直で可笑しさもある。

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2011年1月31日 (月)

book number 16 『苦役列車』

芥川賞の受賞作 西村賢太の「苦役列車」を読みました。

私小説作家の彼の著書はもう数冊は読んでいる。

「苦役列車」は三人称 "北町貫多"で、まだ19歳の若い彼の日常が書かれた作品でした。

港湾の日雇いで其の日暮らしをする貫多が、仕事場で関わり合う数少ない人間との間に発する様々な愚行や感情が
作者特有の正直さで描かれています。本人の内なる心理描写はとても鋭い。
読んで心地よい作品では決してないのに、また最後まで読まずにはいられない。

人は様々な欠点を持ち合わせている。ほどほどに折り合いをつけて生きているのだが、
自らを制御せず行動していまえば、、生きづらくなるのは当たり前だと思う。

「最早誰も相手にせず、誰からも相手にされず、その頃知った私小説家、藤澤清造の作品コピーを常に作業服の尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった。」 で、終わっていました。

これからどのように"藤澤清造"に関わる生き方をして行くのか、次を読みたいと思う。

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2011年1月14日 (金)

book number:15 『オー!ファーザー』 ★★★

伊坂幸太郎 著 「オー!ファーザー」を読みました。

"由紀夫" という少年には、4人の父親がいる。父と子だから一つ屋根の下に一緒に生活している。
母親は一人、由紀夫を生んだ正真正銘の母親だ。

読み始めは頭の中を???だったが、ごく自然に話しが進むので、あまり深くは追求せず読めていく。

4人の父親たちは全員が由紀夫は自分の子だと信じてつき合っているし、4人の父親同士も互いを尊重し仲良く生活している。
それぞれの個性と特技で自分の息子を成長させようと懸命なのだ。

何故か母親は仕事がらか、残業で帰りが遅かったり、地方の出張や海外で家にいない。

だから由紀夫は4人の父親の誰かといつも一緒にいる。
父親たちは父親たちで、どうやって自分の息子をより良く育てようかと真剣に話あったりもする。

読んでいくうちに、こんな家族の関係があったっていいじゃないかと理想的にさえ思えてきた。

人間の知らない生き物の世界には、こういった関係、つまり"雄" が複数で"雌" の生んだ子供を育てるものもいるのではないか。

一応物語りはサスペンスなので、"由紀夫" が危険な目に遭った時には、父親全員が身体を張って救出劇を演じたりする。
サスペンスの筋書き自体は、あまり興味は持てなかったが、このユニークな家族の発想には脱帽でした!

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book number:14 『どうで死ぬ身の一踊り』 ★★★★★

西村賢太 著 短編「どうで死ぬ身の一踊り」を読みました。

私はこの著者をこの本ではじめて知る。
あるサイトではこの著者、西村賢太を "破滅型私小説作家" と紹介している。

私小説なら、主人公は作者本人なのだろうか。
本の帯に「こんなくだらない男でも生きている」とあるように、けっして褒められた男ではない。
そんな男の日常の私生活が綴られているのです。

中卒、定職もなく、破廉恥な罪で前科のある父、激情的な性格の母を持ち、自分もやっとのことで知り合った
一緒に暮らす女に、酒が入ると限りないDVを繰り返す。

と、こんな風に書くと、そんなもの何処が面白いのか、と言われそうだ。

彼の中でただ一つゆるがないものは、「藤澤清造」という石川県は七尾に生まれ、昭和7年に東京芝公園内で野たれ死にした作家に心酔し、
彼の残された作品を「藤澤清造全集」として刊行することなのだ。
その為にだけ生きているような一途さと危うさが、彼の愚行を帳消しにしてし、魅力にさえなっている。

自分が行なってしまう愚かな行為の後のむなしさや物悲しさが、軽蔑と同時に微かなすがすがしさも私は感じるのです。

読み終えたショックを引きずり、立て続けに彼の作品を「暗渠の宿」「痩瘢旅行」「小銭をかぞえる」「ひともいない春」を読みました。

※ 「暗渠の宿」は野間文芸新人賞受賞、「どうで死ぬ身の一踊り」は芥川賞の候補になる。

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book number:13 『心にナイフをしのばせて』 ★★★

奥野修司著 「心にナイフをしのばせて」を読みました。

1997年に神戸で起きた児童殺傷の「酒鬼薔薇」事件を伝えるテレビのニュースはまだ記憶に新しい。
切断された"首"が置かれていたと云う校門の映像もまだ脳裏に浮かぶ。

しかし、この本は「酒鬼薔薇」事件についてのドキュメントではない。
それより28年も前、まだ70年安保闘争によりいろいろな大学が荒れて、学生運動がさかんだったあの当時、
この本に書かれているような事件が起きていたなんてことを記憶している人がいるだろうか。
しかも、「酒鬼薔薇」事件に酷似した事件が・・・。

1969年の春だった。高校に入学したばかりの「少年A」は同級生の男子を殺害した。
殺害された少年の"首"は胴体から十数センチ離れたつつじ畑の畦道にころがっていた。

「少年A」は家裁で<分裂病質の精神障害>と認められ、しかし<狭義の精神病ではない>から
<精神衛生法による強制的入院>は出来ず、中等少年院である栃木県の喜連川少年院に送致された。

そこで「少年A」は3ヵ月間に2度の自殺未遂をし、これが原因でその年の暮れ、府中の関東医療少年院に送られる。
医療少年院では、六法関係の本を読み、法律の勉強をしていたと、当時の同級生の話として伝わっている。

それにしても、犯罪を犯した少年が少年院を出た後「更正」したかどうかすら、被害者家族にすら知り得ないということはどうゆうことなのだろう。

こうやって、「少年A」が過ごした同じ時間を被害者遺族は苦悩の中に過ごすことになる。
母は二年間も寝込み、精神は常に不安定になる。父は一家を支えるためすべての感情を封じて働き、やがて死んでいく。
妹は喜怒哀楽を表さなくなり、やり場のない気持を反抗へと走らせる。「あの事件」を皆が直視できず、したがって「決着」がつけられない。

筆者は母と妹に折に触れ、何度も何度も話を聞くことで、被害者遺族の心情を綴っている。

少年法は、犯罪を犯した少年の更生を第一としている。
しかし、遺族に謝罪することは義務づけてはいない。

30余年後「少年A」は 弁護士になった。
地位も名誉も得て世間の表街道を歩いている。少年法から云えば、立派に更生したのだろう。

しかし、被害者側は30余年が経過した今も、その事件を引きずっているのだ。
あそらくこれからもずっと、心にナイフをしのばせて。
    

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book number:12 『うらなり』 ★★

小林信彦著 「うらなり」を読みました。

夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだのは何十年前かよく覚えていない。
たぶん学生時代だったでしょう。
皆が読むからよんでみたのか、それとも教師から読むよう言われて読んだのかそれもはっきりとは覚えていません。

一つだけ今も忘れずにいるのは、登場する教師たちに皆おもしろいあだ名がついていたことです。
「赤シャツ」だの「山嵐」だの「うらなり」だの・・・
そう、この物語は「うらなり」というあまりありがたくないあだ名をもらった、顔色がわるく影の薄い感じの、あの英語教師が主役なのです。

「坊ちゃん」の中には「マドンナ」という憧れの女性が登場したが、彼女はこの「うらなり」先生のなかば許婚のような関係だったらしい。
旧家の出だった「うらなり」は欲などとは縁遠い人柄から、財産を失い「マドンナ」にもふられ、あげくの果てに四国から九州の延岡に転任させられてしまうことになる。

その転任に至るまでのいきさつや、教師同士の力関係などはすべて「うらなり」の視線で書かれている。
もう一度先に「坊ちゃん」を読んでから、この本を読んだらまた違った面白さを感じたと思うのだが。

この物語の中では「坊ちゃん」は東京から赴任してきた元気のよい"五分刈り"の教師として登場し、なぜか「うらなり」に好意的である。
うらなりのような人だといいながら、君子のような人だとも云うのだから、「うらなり」にはよくわからない人物に写る。

時を経て学校を退職し、随筆を書き、出版社から頼まれる児童向きの翻訳などをしておだやかに暮らす「うらなり」が
あの「マドンナ」と神戸のホテルで再開するシーンが興味深い。大阪の富豪に嫁いだという「マドンナ」の変貌を不器用だが正確な目で観察する「うらなり」はけっこう魅力的だ。

延岡から二年後に姫路の商業高校の英語教師となった「うらなり」は母を呼び寄せ、やがて校長の世話で結婚をし、二人の子どもをもうける。

松永 美穂(早稲田大学教授)氏の書評に、「うらなり」はその後30年の人生をそこそこ幸せに送ったに対して、四国の学校でわずか1ヶ月同僚だった「五分刈り=坊ちゃん」は
四国を去って東京市街鉄道の技術者になった後どうなっただろうか、サラリーマン人生に満足できたのか、無鉄砲が高じて大陸あたりで早死にしたのではないか、
「坊ちゃん」のその後がいまさらながら気になってしまうと書いてあった。

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book number:11 『押入れのちよ』 ★★★

荻原 浩著「押入れのちよ」を読みました。

帯にある様に、「怖いのに、切ない。笑えるけど、哀しい。」という表現がピッタリの短編でした。

私が育った家は日本家屋で、部屋には必ず押入れがあった。
人が使っていない納戸のような部屋にも押入れがあり、何故か少し怖かった記憶がある。
親が子供のおしおきに押入れに入れたり、都合の悪い時に押入れに隠れたりした時代だったから。

今月で失業保険が切れる"恵太"が訪れた不動産やの主人は、風呂付、礼金ナシ、管理費ナシ、
6畳の和室にダイニングキッチン、ユーティリティと記された小部屋まである物件を「3万3千円でどうです?」と
顔色を伺いながら言った。
「何故こんなに安いんです?」と聞くと「少しばかり古いのが難点でして・・・」。

マンションといってもエレベーターなどもちろん無い小さな3階建ての『月が丘マンション』は確かにボロだったが、
新しい就職先の面接を受けたり、一応新居といえる部屋で"恵太"は生活をスタートした。
しばらく連絡しなかった彼女のケイタイが「オカケニナッタ電話番号ハ現在……」でも、ケイタイを変えたのだろうと
何ごともあまり深く考え過ぎないのがすくいと云えばすくいなのだが。

だからその夜、まだ片付かない段ボールの向こう側に、おかっぱ頭の女の子を見たとき、
「何をしている? ここは俺の家だぞ」と叫んで、別の住人の子供がカギをかけていなかった玄関から入り込んだのだろうぐらいにしか
思わなかった。

だが、市松人形のような女の子は毎晩現われ、箪笥の上で足をブラブラさせていた。、玄関のチェーンが懸かっていても・・・。
少女は足もあるし、話もするユウレイだった。「名前は ちよ。川上ちよ 明治三十九年うまれ」
そして"恵太"の恐る恐る与えるコンビニのおにぎりやビーフジャーキーを美味しそうに食べた。

短かった"ちよ"と"恵太"の交流は「怖いのに、切ない。笑えるけど、哀しい。」そのものでした。

「いい考えがあるんだ。父と母の墓を見つけ出してやる。一緒にそこへ行こう」
「ありがたや」
「それまではここに居ていいぞ」
「はいなるあんさー?」

聞き覚えた今ふうの言葉を訳もわからず明るく話す"ちよ"に、かえって少し涙腺がゆるみました。
そして、"ちよ"の着ていた振袖の赤は、まぎれもない曼珠沙華の「赤」だと確信した。

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book number:10 『薬指の標本』 ★★★★★

小川洋子著 「薬指の標本」他一篇を読みました。
二篇とも一気に読みました。

「薬指の標本」の方はフランスで映画化され、近々日本でも公開される。

標本というものに人はどんなイメージを持つだろうか。

学生の頃、理科室などで、アルコールづけになっていた気味の悪いもの、
めずらしい蝶や昆虫を捕まえて薬を注射し、からだの中心にピンを刺して箱に閉じ込めたもの。

私にはそれは、途切れた生をそのまま閉じ込めたもの、死とは違うものに思う。

取り壊しを待っているのかと思うような古い洋館にその「標本室」はあった。
主人公の"わたし"は 偶然 貼り紙を見て、ここに努めることになる。
この広い建物で働いているのは経営者でもあり標本技術者に"弟子屈氏"と"わたし"だけ。

そこには、様々な来訪者が標本にしてもらいたい品をもって現われる
「私の家の焼け跡に生えたきのこです」と依頼してきた少女。
楽譜を持って訪れた美しい女性は別れた恋人の作曲した「音」を標本にして欲しいと。

標本を依頼した者は、何故か出来上がったものを受け取りに来ることはない。
封じ込めておいてもらいたいのである。
古い洋館の空き部屋は次第に標本の置き場になっていく。

"わたし"はここに来る前に務めていた清涼飲料水の工場でちょっとした事故にあった。
大忙しのある日、サイダーを溜めたタンクとベルトコンベアーの接続部分に指を挟まれ、
ふと気がつくと、噴出した血がタンクの中に流れ込み、サイダーを桃色に染めていた。

だから、"わたし"の薬指は先が欠けている。
ある日、"わたし"は"弟子屈氏"に「黒い靴」をプレゼントされる。
彼はこう言った。
「これからは、毎日その靴をはいてほしい」
「電車に乗るときも、仕事中も、休息時間も、僕が見ている時も見ていない時も いいね」

あまりにもピッタリなその靴は"わたし"をどう変えてゆくのか。

洋館の地下には"弟子屈氏"以外誰も入れない「標本技術室」がある。
以前、ほほの火傷の跡を標本にと望んだ少女が入ったまま出てきたのを見かけなかったが…

やがて"わたし"は、この薬指を「標本」にしてもらうために、その「標本技術室」の扉の前に立った。
"わたし"自身の彼への気持を閉じ込めてしまうために。

「解説」で布施英利氏はこう書いている。
「小川洋子の小説では、しばしば体が消えていく、ことが描かれている」
別の小説の中ではこんな一文もある。
「考えたって、考えなくたって、消滅はやってくるわ。」

私はこうゆう余韻の残る小説 好きですね
この小説がどんなフランス映画になったか、楽しみにしている。

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